
出来る限り見たことのある局面へと誘導して戦い、そのためだけに研究を積み重ねた。そうして私は、四段になった。いまはもうそんな必要はなくなった。時間はたっぷりある。好きなときに好きなだけ考えればいい。
知識は勝つための知識ではなく、考えるための知識になった。研究は勝つための研究ではなく、将棋をより楽しむための研究に変わった。自由に考えられることがこれほど面白いことだとは知らなかった。本当に、棋士になれてよかったと思う。」
以上、あるプロ棋士四段の言葉だそうです。
奨励会が限られた時間の中で勝つための将棋を優先するという、あたり前の現実と、その勝負の過酷さをよく表しています。
自由に考える喜びを味わうことが許されない、そのような緊張感の中での将棋とは、どのような戦いだったのでしょうか。